もう一度、陽の当たる場所へ

人生半ばでうつ病を発症し現在治療中の-すなふきん-です。自らの体験を中心に「治療」「回復」「就労」「自立」の面から振り返りながら、全快への道のりを同じ悩みを持つ方々と一緒に、それぞれが目標とする「陽の当たる場所」を目指していきます。

うつ病になってわかったこと、「こんなことができなくなってしまった自分に落胆する毎日の辛さ」

       今回もこのブログにたどり着いていただきまして

            本当にありがとうございます。

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やっと訪れてくれた梅雨明け

 

          ãé¨ä¸ãããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

2日に1回のペースで書いていたブログですが、ちょっと私用が忙しくなってしまい

最近ペースダウンしてしまいました・・・。どんな状況でも継続するということの

難しさ、自分で自分の時間を管理できないようでは、私もまだまだだなと思って

います。

そういえばこの週末、いつの間にか梅雨明けということで今年の梅雨、結果的には

短い梅雨となって、体調を崩しやすいこの時期が短くなってくれて、個人的にはとても

喜んでいます。

 

というわけで、梅雨も終わり夏本番がやってきたわけですが、悪天候の時の体調不良が

なくなってくれるのは嬉しいことですが、うつ病特有の症状は天候に関係なく私を

襲ってくるので困ったものです。そんな症状の中で、今回はある一つの症状について

私の体験をもとにご紹介します。

 

スムースな日常生活を阻む、うつ病の症状

 

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みなさんはうつ病を発症して、健康だった時と比べて

       「頭の回転が遅くなったな」

と、思うことはありませんか。

例えばこんな症状です。

  • 忘れ物が多くなった
  • 簡単なことでも決断するまでに時間がかかる
  • 約束などの物忘れが多くなった
  • 人の顔や名前が覚えられない
  • 慣れた道でも迷うようになった
  • 買い物の時に暗算が遅くなった
  • 映画や本などの内容が頭に入らなくなった

どれもこれも日常生活をするのに困ることばかりで、こんな症状が起こり始めたころは

自分が若年性のアルツハイマーになってしまったのかと思えるほど、日常生活に支障が

出てしまい、驚いたものです。

 

そんな自分に落胆する生活の先にあるもの

 

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自分がうつ病だということを自覚するようになって辛いことは、眠れないこと、

食べれないこと、動けないことももちろんですが、この

        「頭が働いていない」

ということが一番ダメージがあるかもしれません。

 

なぜなら、このことは「寝る」や「食べる」に比べれば、生死に直接関係することでは

ないにしても、社会生活の中で自信を持って生活をしていくという意味では、毎日の

仕事はもちろん、車の運転から地域生活や、家族との時間など全ての日常生活に

至るまで、ダイレクトに影響してくることばかりだからです。

 

そしてそれらの影響は「自信喪失」という形で、新たなうつ的気分を作り出し

ます。今まで社会の中で、それなりにやってこれたという自信を奪われると、人は

生きる活力を奪われ、充実感を損ない、

       「自分は誰の役にも立たない、必要のない人間なんだ」

という結論に至ってしまうわけです。

その結果、長いあいだ職につけなかったり、ひきこもってしまったり、ひどい時には

自死に至ったりと状況は悪くなる一方ということになります。

 

自分に優しくすることで乗り越えられるもの

          

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この問題の底辺は深刻です。このような気分に気づいたら、どうか孤立せず専門の

カウンセラーに相談するなどして、早めに心の対処をお勧めします。いま貴方が

苦しんでいることは病気のせいです。決して貴方自身の能力が落ちてしまったわけでは

ないのです。病気がよくなればまた以前のような活力を復活させることができます。

どうかその時まで、仕事や社会のことを気にしなくてもいい環境で、しっかりと休んで

ください。貴方はいま、休んでもいいのです。

 

        今回も最後までお付き合いいただきまして

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うつ病になって初めてわかること「活き活きとした表情がなくなってしまう怖さ」表情のなさが対人関係を難しくする

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うつ病で表情を失った私

      

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私の住む地域は今日、やっと梅雨が開けて、久しぶりに空一面の青空を見ることが

できました。青い空と白い雲のコントラストが心に心地いい感じで、体調的にも

しんどくなる梅雨の終わりは、まさに待ち望んだ季節の到来といったところで

しょうか。

 

そんな気持ちいい青空を眺めていると、自然と表情も緩んで、笑みもこぼれてくる…と

言いたいところですが、うつ病と長く付き合っていると、表情がなくなってしまったな

と感じること、ありませんか。私の場合、うつ病になる前は喜怒哀楽のある、表情も

豊かな生活をしていたと思うんですが、今ではすっかり表情をなくしてしまいました。

 

まず笑うことができないので、初対面などはまず、馴染むことはできません。愛想笑い

などできるはずもありませんから、大勢のなかで過ごす時間の苦痛といったら、

このうえありません。

 

喜びは難しく、怒りは簡単に

         ãæããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

元気な人からすれば、そんなことくらい簡単にできるだろうと言われるかもしれません

が、まず頬の筋肉が動かないので笑えない、無理矢理笑っても目が笑っていない、

ですから歯を見せて笑うことなんか、全くと言っていいほどないでしょう。

なにも考えずに無意識に笑えてた頃を思い出してやってみるんですが、どうしても

無理みたいです。まぁそもそも笑うことなんて、意識してやることではないので、

その時点でもう不自然なわけです。

 

その代わり、怒りの感情はすぐに沸いてきます。その怒りは自分に向けてだったり、

周囲の誰かに向けてだったりして、ちょっとしたきっかけで怒りのスイッチが入ったり

して、周りの人たちにはいろいろと迷惑かけているはずです。いや、きっとかけてるで

しょう。

 

心と身体は繋がっているんだなとあらためて再確認できましたし、特に表情は

ダイレクトに心を反映しますから、心がよくならないと表情なんて出るはずも

ありません。

 

表情を取り戻すためのヒント

 

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ではどうしたらまた以前のような表情を取り戻すことができるのでしょうか。

残念ながら、この質問に答えるためのアイデアを、私はまだ持っていません。試行錯誤

と言いたいところですが、答えに対するヒントさえまだつかめていない状態です。

 

しいていうなら、一人旅をして自然の中にいるときは、自然な表情になっているような

気がします。すれ違う人が挨拶をしてきたときにも、自然に対応できているような気が

しているのです。

 

それはおそらく、意識が自分の内面になく、外に向かっているからではないかと思って

います。意識のベクトルが自分の方向に向いていると、そこにはどうしても「緊張」

あり、「~しなければいけない」という気持ちに強く支配されているような気が

します。無意識というのは、きっと自分を意識しないところから始まるのでは、と

思っていますので、意識が自分向きに働いているようでは、自然な表情になるのは

難しいでしょう。

 

自然の力を借りて、無意識を手に入れる

 

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これから、以前のように自分のやりたいことをやるためには、人の中でも自然に

振る舞える自分に戻る必要があります。そのためのリハビリとして、まずは自分の

好きなこと、自分が一番自然な状態でいれること、私で言えば一人旅というアイテムを

使って以前の表情を取り戻せればと思っています。

 

みなさんにも何か、自分を意識しないくらい夢中になれることがあったと思います。

うつ病になる前の、活き活きとした自分をもう一度、振り返ってみましょう。

もし一つでもあるならば、その力を借りて自分を取り戻すリハビリをされてみては

いかがでしょうか。きっと新しい世界、新しい自分の中で、うつ病から少しでも離れる

ヒントを得れるかもしれません。

 

        今回も最後までお付き合いいただきまして

           本当にありがとうございました

 

うつ病になってみて、初めてわかること「症状を理解してもらえなくても、付き合い方は理解してもらえる」

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うつ病になる、はるか前の話

            ãæ­¯è» ã¤ã©ã¹ããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

私がうつ病の治療を始めたのは5年前、でも今から思えばうつ病を発症したのは10年

以上前だったのかもしれません。

 

私がうつ病になる、はるか以前の話、うつ病という言葉さえ知らなかった私、子供の

頃から落ち着いていることが苦手で、今から思えば、それはそれで問題があったのかも

しれませんが、鬱っぽくなっていったのは中学生の頃からだったかもしれません。

 

初めて死ぬことをリアルに感じるようになったり、宇宙に興味を示し、今から思うと

学校や家庭生活からの逃避だったのかもしれません。夜中に家出して自転車で遠くまで

行ったり、少ないお小遣いで電車と徒歩の日帰り旅をしたり、良く言えば自立した

子供、悪く言えば変わった子供でした。

 

そしてうつ病を発症をした最近の話

 

         ã絶æãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

そしていよいよ本格的にうつ病を発症し、仕事にも生活にも支障をきたすようになり、

好きだった仕事を退職、そして離婚、急に無職で独り暮らしの世界に放り出され、

貧しさと将来への失望から、その時の気持ちと言ったら、ただのシンプルな絶望しか

ありませんでした。

 

最初は過去への後悔と将来への不安から不眠、食欲不振になり、健康にも支障をきたす

ようになりました。ただただ薬に頼って何とか生活を維持しているような状態でした。

 

こうした状態が長期化してくると、もう自分がなぜ眠れないのか、なぜ食べられない

のかさえ分からなくなり、そんなフラットな状態が長く続きました。

運よく仕事にはありつけ、なんとか生活は成立していましたが、仕事やプライベートな

生活の中での人間関係は築くことができず、口数も以前に比べてはるかに少なくなって

いました。

そんな生活から特に変化もなく、今もこんな状態を続けているのが現状です。

 

うつ病の症状を理解してもらう難しさ

 

          ãç解ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

ここまで長々と私のうつ病発症前から現在までの話をご紹介させていただきましたが、

誰かに私のうつ病に至るこの長い長いストーリーを少しでも理解してもらおうと

思うと、これだけのことを話さないと、本当の原因や理由や現状を理解してもらう

ことはできないかもしれません。

 

いや、本当に理解してもらうことは、どれだけ詳しく話したとしても伝えきることは

不可能だと実感してますし、また相手も理解しきることは不可能でしょう。

 

ですから今となっては、私を取り囲む人たちに私のうつ病の症状を伝えることを諦めて

います。私の友達の中にはうつ病って、なに?」って言うくらいの人が

いるくらいですから、それも仕方ないのかもしれません。

 

うつ病の自分ができること、できないこと

 

         ãçºä¿¡ããã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

ですが症状を理解してもらうことはなかなか難しいとしても、うつ病の自分が

      何ができて何ができないのか

を伝えることはとても大事なことだと感じています。

なぜなら、私を取り囲む職場の方やプライベートの友人などに、私との付き合い方を

考えてもらうヒントになるからです。

 

逆にそれを重荷に感じる人は、自分から離れていくかもしれません。でも、それは

それで仕方のないこと、付き合っているうちにトラブルになるくらいなら、理解のない

人には初めからお引き取り願った方が、こちらとしても精神的負担が少なくなって

メリットなのかもしれません。

 

より良い付き合い方を築くために

 

          ãé¢ä¿æ§ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

うつ病特有のもやもやした気持ちや、身体の変調はなってみないと分からない部分も

あるので、自分の担当医以外にこのことを正確に伝える必要のある人はいないかも

しれません。しかしだからこそ、自分とその方との関係性を作っていくために、

あらかじめ、できることとできないことを説明していく必要はあるようです。

 

うつ病の時は人との付き合いがどうしても希薄になりやすい傾向にあるようですが、

そうすることによって、

  相手に自分を理解し上手に付き合ってもらうための

      ヒントを与えてあげましょう。

きっと今までの付き合い方とは違った関係が築けるのではと思います。

 

        今回も最後までお付き合いいただきまして

           本当にありがとうございました

 

         ãç¸äºç解ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

うつ病、近未来物語「AIにうつ病の判定をしてもらう時代は、もうすぐそこまで来ている!」

       今回もこのブログにたどり着いていただきまして

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待望の梅雨明け、カウントダウン

 

今日は朝からこちらは大雨で、梅雨前線も梅雨明け間近の、最後の頑張りといった

ところでしょうか。どうしてもこの時期は、うつ病の方にはしんどい時期のようで、

うつ病を患わっている方からの悲鳴が聞こえてきます。

 

 

toyokeizai.net

 

しかしこればかりは自然相手、梅雨前線が消滅してくれるのを待つしかないかも

しれませんね。そして梅雨といえば、最近では毎年のように各地で大雨の被害が出て

いますので、大雨情報をしっかりと取って、万が一に備えていただきたいと思います。

 

うつ病の症状を数値化したら・・・

 

それにしても、うつ病に限らず精神の病気って、周囲から見たら分かりにくい場合が

多いですよね誰かに症状を伝えるのも、本当に難しいです

熱や血圧のように数値があれば分かりやすいんでしょうが、なかなか難しいようです。

でもそうしたら、本当はかなりうつ状態が進行しているのに、頑張って仕事や家事を

されている方もいらっしゃると思うので、もっと日本に精神疾患の患者さんが増えて

しまうかもしれませんね

お世話になっている自分が言うのもなんですが、国の社会福祉予算がさらに膨らんで

しまっさて、新たな増税なんて言うのもあるかもしれません。

それか逆に、ここは一時的に精神疾患の患者さんが増えてしまって、仕事や社会などの

在り方を国家全体でもう一度考え直してもらうというのも、今後の世の中を考えたら

いいのかもしれません。

 

www.dia.or.jp

 

うつ病の判定にもAI技術?

 

精神疾患をAI技術で判定するようになったら、どうなるでしょう。AIから出される質問

に答えて、表情や脳波などからも判定されて、AIが精神疾患であるかどうかや、障害者

手帳や障害年金の等級まで決めるような世の中が、果たしてくるのでしょうか?

 

forbesjapan.com

 

なんて近未来の話のようですが、実はもう開発されていて、実用化はまだ先のよう

ですが、なんでも記事によると80%以上の精度があるんだとか・・・。もし本当に

実用化されることになったら、「お前なんかに何がわかるんだ」みたいなクレームが

頻発しそうで、なかなか定着しないかもしれませんね。

そういえば、最近観たテレビ番組で、臓器移植をする患者さんの優先順位を決める

のに、AI技術が使われているという話が紹介されてました。誰に移植すれば、一番

長生きするかをAIが判定し、優先順位を決めるんだそうです。優先順位が低くなって

しまった患者さんは納得できるんでしょうか、と心配になってしまいました。

 

www.asahi.com

 

曖昧なうつ病の判定

 

精神疾患の場合も、症状によって障害者手帳障害年金の等級が決まったりするはず

ですが、いろいろな不条理があることをよく耳にします。それはすべて人が判定してる

からに他なりませんが、合理的にAIが判定するようになったら、数値的なことは

まだしも、心情的なことについてはなかなか納得いかないことも多いでしょうね。

   貴方はご自身の病気をAI技術で診断されることに納得できますか?

 

         今回も最後までお付き合いいただきまして

           本当にありがとうございました

 

         ãai ãã¤çãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

 

 

薬を飲んでいる、すべての人に!大量の薬を飲んで分かった「薬を飲む安心感こそ、本当の依存症状かも」

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 恵まれた通勤環境に感謝

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私は毎日、電車通勤で会社に通っています。自宅から会社までの道のりは、自宅から

駅までが徒歩5分、電車の時間が15分、そして駅から会社までが徒歩10分の

合わせて30分という、都会の人たちからすれば信じられないような恵まれた通勤環境

です。これくらいの時間なら急に体調が悪くなっても、なんとかなる時間なので

助かっています。

 

しかし先日、私が満員電車に乗っているとき、私が立っている場所から少し離れた所に

立っている方が、急病で電車の床に倒れられたんですが、周囲の人はその人を誰も

助けようとしない・・・。私はその日本人の集団行動心理を投影する光景にまず驚き

ましたそして結局は私がその方を助けることになり、その方は次の駅で降りて

手当てを受けることとなりました。

 

今回のことで、公共の場で体調が悪くなったとき、周囲の人に頼ることがいかに当てに

ならないかと言うことがよく分かりました。もしその方が自分だったらと思うと、

いま思い出しただけで怖くなります。みなさんも公共の場で体調が悪くなった時の

対処法を日ごろから考えてみてはいかがでしょうか。

 

うつ病と副作用の狭間で

 

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さて、前回からの引き続きで薬の話ですが、私は一番多いときには一日に、22錠の

薬を飲んでいました。そのころの私は仕事はもちろん、普通の生活さえ満足に過ごす

ことができませんでした。それはうつ病特有の症状のせいも多いにありましたが、今と

なってはどこまでがそうで、どこまでが薬の副作用のせいだったのか、思い出すことが

できません。でも先生が処方した薬を飲むことこそが正義であり、体調を改善させる

唯一の方法だと思っていました。風邪薬を飲むように、

    薬=病気を治すもの、というイメージ

から抜け出すことは、なかなかできなかったのです。

 

しかし実は大量の薬を飲むことで得れる

         「大きな安心感」

こそが、自分の求める精神的安定だったのかもしれません

自分の実感としては抗うつ剤をによって気分がすっきりして行動的になれたという記憶

はありません。ただ薬を飲んでいるという「安心感」だけは、実際の薬の効果以上に

感じることができました。

 

こうしたことから「病は気から」という言葉の通り、薬を飲むことは

精神的安定をもたらし、その精神的安定は体調さえも改善してしまうほどの効果がある

のかもしれません。ですが、その精神的安定は時にその依存性を発揮し、体調がよく

なったと感じた後も、薬から離れられなくなる原因にもなることがあるでしょう。

 

薬を止めれる身体になるために薬を飲んでいるという矛盾

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そうした場合、私はもう一度、なぜ私は薬を飲み続けてきたのかという疑問を自問自答

しました。そしてそれは例えば、うつ病になる前のように健康的に寝て起きて食べる

という、当たり前の日常生活を享受するためであり、仕事や学校に当たり前のように

通うためであり、できれば友人や会社の同僚と食事をしたり、自身の趣味を楽しんだり

するために続けてきたことなわけです。

薬を飲んで得ることができる「身体的効果」に慣れていくうちに、それが徐々に精神的効果」へと変わり、いつの間にか

     薬の奴隷のような「精神的依存」

に陥らないようにすることが必要かもしれません。

 

        今回も最後までお付き合いいただきまして

          本当にありがとうございました

 

 

 

 

 

 

 

薬を飲んでいる、すべての人に!大量の薬を飲んでみて分かった「薬を飲んだその先に何がありますか?」

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仕事中の妄想と現実のギャップ

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3連休も終わり、またまた忙しい毎日への逆戻り・・・。連休中は美味しいものを食べたい

とか、温泉に行きたいとか、仕事をしながらいろいろな妄想を巡らせてましたが、いざ

連休が始まると良くない天候も手伝って、普段なかなかできない生活の事務的な手続き

に追われ、結局やりたいことは何もできずじまい・・・。

 

でも、美味しいものを食べたいとか、温泉に行きたいとか、妄想してたことが連休中に

出来なかったということは、ただ仕事の苦しさ、退屈さから逃れるための逃避であって

本当にやりたいことじゃなかったんだなと思います。本当にやりたいことなら、多少の

忙しさでも時間を調整してやろうとしますからね。

 

というわけで今回の3連休、気になってた事務的な用事も終わったことだし、空いた

時間には気になってた勉強もできたし、何より疲れた身体と気持ちを休めることが

できたし、まずまず合格の3連休だったんじゃないかなと思ってます。次はお盆休みの

妄想をしながら、また日常の忙しい生活を淡々と過ごしたいと思っています。

 

食べること、寝ることへの素朴な疑問

 

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さて唐突な質問ですが・・・

「なぜ貴方は食事を採りますか。なぜ睡眠を採りますか」

 

これは哲学じゃありませんので、シンプルに考えてみてください。

「明日のことに備えて、体調を整えるため」

「食べること、寝ることそのものに喜びを感じるから」

「別にただなんとなく、習慣だから」

などなど、どれも正解だし、人それぞれの答えがあることでしょう。

 

なによりこの2つのことは

     生命を維持するのに不可欠なこと

ですから、もし食べれない、寝れないとなってしまったら、重度の場合は確実に

健康を損なうことになってしまい、場合によっては死んでしまうこともあるでしょう。

 

そして、薬を飲むことへの素朴な疑問

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しかし薬を飲む場合はどうでしょう。

 

薬を飲む状態にあるということは、もうすでに何らかのトラブルが身体や精神に表れて

いる状態にあるでしょうし、もしかしたら死に至る過程にある状態になるのかも

しれません。いずれにしても健康な状態にないから薬を飲むというのは、みなさん共通

の認識だと思います。

 

では最後に、先ほど出てきた食事や睡眠の時と同じ質問です。

    「なぜ貴方は薬を飲みますか」

って聞かれたら、みなさんは何て答えますか?

  「そんなの決まってる!健康になるためだよ!」

って答える人がほとんどかもしれません。当然の回答だと思います。

 

薬を飲んだその先に何がある

 

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問題はこの後の質問です。

 「では健康になって、貴方は何が一番したいですか」

と質問されたらどうでしょう?

瞬時に思いつくものがありますか?

うーん・・・と悩んで思いつくものがありますか?

もし具体的に思いつくものがなければ、それこそが貴方がいま健康ではない原因、

なのかもしれません。(次回へ続く)

 

       今回最後までお付き合いいただきまして

         本当にありがとうございました

 

 

 

「薬は飲んでも、飲まれるな」大量の薬の群れを目の前にして思うこと、私の場合

  今回もこのブログにたどり着いていただきまして

      本当にありがとうございます。

 

  

恋しい青空と乾いた空気

パッとしない天候が続いていますが、みなさん、体調はいかがでしょうか。

梅雨明けになりそうでなかなかならないみたいですね。週間天気予報では

もうすぐ梅雨明けみたいな雰囲気があったんですが、また雨マークの

オンパレードに逆戻り・・・。

でも青空はもう目の前、気持ちいい空気の中で

何しようかと今から妄想全開で待機中といったところでしょうか。

 

さて前回は私たちの病気に欠かせない薬のことについて書いてきましたが、

今回も引き続き薬との付き合い方について、自分の経験からお話してみたいと

思います。

 

机に並べられた大量の薬の群れとの付き合い方、私の場合

精神の薬を飲み始めて6年ほどになりますが、私が薬と付き合っていくうえで

一番難しいなと思ったのは、

   「飲まなくてもダメ、飲み過ぎてもダメ」

というところだと思っています。

 

前回もお話ししましたように、私は一日に22錠処方されていますが、

現在はその時の体調と生活スタイルに合わせて10錠を飲むようにしています。

 

まだまだ体調に不安がある今、自分の部屋で治療に専念できる生活ができるなら、

本当はもう少し飲みたいところですが、仕事や通勤、独り暮らしの生活などがあり

自分なりに妥協できるラインが10錠だというところに落ち着きました。

これ以上飲むと、日常生活にいろいろと支障が出て困ったことがあったから

というのが一番の理由です。

 

最初は睡眠不足や食欲低下など、いろいろ心配もありましたが、ここまで時間をかけて

調整してきた結果、今の自分には合っている量かと納得して飲んでいます。

 

自分に合った薬の飲み方、試行錯誤の毎日

そして、もう一つ難しいなと思うのは、

    薬は飲まないことに越したことはないが

     現実にはそういうわけにはいかない

というところでしょうか。

 

クリニックに通い始めたころ、大量の薬を目の前にして

「これを飲めば治るんだ」という、まるで風邪薬を飲むかのような感覚で、

すべての薬を忠実に一生懸命飲んでましたが、実際には風邪薬とはどこか違う・・・。

 

やっぱりその時の体調で多すぎたり少なすぎたり、またちょうど良かったりと

なかなか自分の量というものを掴むことができませんでした。

 

大切なのは、自分で納得すること

時には薬を飲むことが苦痛になって、

いっそのこと薬を飲むのを止めたいとさえ思ったこともありました。

でも飲まなければ、やっぱり寝れなかったり食べれなかったり動けなかったりの

症状が出てしまう・・・。

 

そんな場所を右往左往しながら、いま思うことは

 自分のその時の健康状態や生活スタイルに合わせて

      自分で納得した量を飲もう

ということです。

 

自分でチョイスできる選択肢を持とう

自分の判断で勝手に薬の量を変更することには反対意見もあると思います。

ですから、もちろんクリニックの先生とは相談しながらの作業になりますが、

だからと言って先生や誰かの言いなりになることもありません。

出された薬を無条件ですべて飲むこともどうかと思います。

 

だって苦しいのは他の誰でもない、自分自身なんですから・・・。

判断できるなら、自分のことは自分で決めた方が、精神的にも健康ですからね。

     

      「薬は飲んでも、飲まれるな」

       自分の船の船長は自分自身でありたい

 

と思いながら、日々この病気と付き合っています。

  

    今回も最後までお付き合いいただきまして

       本当にありがとうございました

 

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