もう一度、陽の当たる場所へ

人生半ばでうつ病を発症し現在治療中の-すなふきん-です。自らの体験を中心に「治療」「回復」「就労」「自立」の面から振り返りながら、全快への道のりを同じ悩みを持つ方々と一緒に、それぞれが目標とする「陽の当たる場所」を目指していきます。

「楽しいこともないのに、生きている意味があるのか?」うつ病停滞期の絶望と長く苦しい暗闇の中で

容赦なく過ぎていく私の日々

  今回も私のブログにたどり着いていただきまして

      本当にありがとうございます。

 

息つく間もなく過ぎていく毎日・・・

歳を取るにつれ時間の流れるスピードが速くなっていくと聞きましたが、

それは本当なんだなと実感しています。

 

この調子で時間が流れて行ったら、

私に残された時間なんてあっという間だなとか思ってしまいますが、

いつ終わっても後悔のないように

   「その日にできることは、その日のうちに」

を心がけて日々を過ごすようにしています。

 

さて、前回は「とにかく眠い」日常のお話しをさせていただきました。

そして頭の回転が遅くなるという「うつ病」の特徴から、

日常生活の注意した方がいいことをまとめてみました。

今回はそれに関連して、

     いつも「ボーっとしている」自分

について、体験的に感じたことをまとめていきたいと思います。

    最後までお付き合い、どうぞよろしくお願いします。<m(__)m>

奪われた「私」という存在

頭が「ボーっとしている」という表現は、とても抽象的で人それぞれだと思います。

お酒を飲んだ時にそうなる方もいらっしゃるでしょう。

睡眠不足の時にそうなる方もいらっしゃるでしょう。

もしかしたら片思いの人を想う時に、そうなる方もいらっしゃるかもしれません。

どれも頭が回っていないという意味ではうつ病」の症状と似ているかもしれません。

 

頭が「ボーっとしている」という症状だけを聞かされたら、

   「それくらいなら大したことないじゃないか、誰だってあることだよ」

と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、

     これが日常生活ではとても辛い状態なのです。

例えばその状態は「物事への興味がなくなる」「感情の起伏がなくなる」など、

      今まで出来ていた活力ある日常生活や人間関係を、

         徐々に私の生活から奪っていきました。

 そして開かれた根源的な疑問への扉

今まで好きだったことに、とにかく関心がなくなりました。

映画を観ても感動できなくて、徐々に映画館から足が遠のきました・・・。

本を読んでいても集中できなくて、なかなか前に進まなくなりました・・・。

街で車にひかれそうになっても、もう驚いたりすることもなくなりました・・・。

TVで好きなお笑い番組を観ても、クスっと笑うこともなくなりました・・・。

人と会ってても全然楽しくないので、徐々に独りでいることが増えました・・・。

 

こうなってくるともう・・・

     何をしていても楽しくない。

そのくせに不安感だけは強烈に感じることができるのです。

気が付いた時には身体の痛みも感じない状態になっていました。

そしてワクワクするような、ドキドキするような、

体内の血液がその場の楽しさや将来の期待で、身体のを激しく巡るような感覚も

徐々になくなっていきました。

 

そしてこんな疑問が頭の中を満たすのです・・・

「楽しいこともないのに、生きている意味があるのか?」

 

それはすなわち、日常生活を送ることの諦めへとつながり、

生きることへの絶望へとつながりました。

うつ病の初期段階を過ぎ、本格的な停滞期に入ってくると、こんな感情に支配され、

このままじゃいけないんだという抵抗感もなく

この停滞期は本当に長く苦しい暗闇に、私を引きずり込んでいきました・・・。

(次回へ続く)

 

今回も最後までお付き合いいただきまして

          本当にありがとうございました。

 

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