薬を飲んでいる、すべての人に!大量の薬を飲んで分かった「薬を飲む安心感こそ、本当の依存症状かも」
今回もこのブログにたどり着いていただきまして
本当にありがとうございます。
<m(__)m>
恵まれた通勤環境に感謝
私は毎日、電車通勤で会社に通っています。自宅から会社までの道のりは、自宅から
駅までが徒歩5分、電車の時間が15分、そして駅から会社までが徒歩10分の
合わせて30分という、都会の人たちからすれば信じられないような恵まれた通勤環境
です。これくらいの時間なら急に体調が悪くなっても、なんとかなる時間なので
助かっています。
しかし先日、私が満員電車に乗っているとき、私が立っている場所から少し離れた所に
立っている方が、急病で電車の床に倒れられたんですが、周囲の人はその人を誰も
助けようとしない・・・。私はその日本人の集団行動心理を投影する光景にまず驚き
ました。そして結局は私がその方を助けることになり、その方は次の駅で降りて
手当てを受けることとなりました。
今回のことで、公共の場で体調が悪くなったとき、周囲の人に頼ることがいかに当てに
ならないかと言うことがよく分かりました。もしその方が自分だったらと思うと、
いま思い出しただけで怖くなります。みなさんも公共の場で体調が悪くなった時の
対処法を日ごろから考えてみてはいかがでしょうか。
うつ病と副作用の狭間で
さて、前回からの引き続きで薬の話ですが、私は一番多いときには一日に、22錠の
薬を飲んでいました。そのころの私は仕事はもちろん、普通の生活さえ満足に過ごす
ことができませんでした。それはうつ病特有の症状のせいも多いにありましたが、今と
なってはどこまでがそうで、どこまでが薬の副作用のせいだったのか、思い出すことが
できません。でも先生が処方した薬を飲むことこそが正義であり、体調を改善させる
唯一の方法だと思っていました。風邪薬を飲むように、
薬=病気を治すもの、というイメージ
から抜け出すことは、なかなかできなかったのです。
しかし実は大量の薬を飲むことで得れる
「大きな安心感」
こそが、自分の求める精神的安定だったのかもしれません。
自分の実感としては抗うつ剤をによって気分がすっきりして行動的になれたという記憶
はありません。ただ薬を飲んでいるという「安心感」だけは、実際の薬の効果以上に
感じることができました。
こうしたことから「病は気から」という言葉の通り、薬を飲むことは
精神的安定をもたらし、その精神的安定は体調さえも改善してしまうほどの効果がある
のかもしれません。ですが、その精神的安定は時にその依存性を発揮し、体調がよく
なったと感じた後も、薬から離れられなくなる原因にもなることがあるでしょう。
薬を止めれる身体になるために薬を飲んでいるという矛盾
そうした場合、私はもう一度、なぜ私は薬を飲み続けてきたのかという疑問を自問自答
しました。そしてそれは例えば、うつ病になる前のように健康的に寝て起きて食べる
という、当たり前の日常生活を享受するためであり、仕事や学校に当たり前のように
通うためであり、できれば友人や会社の同僚と食事をしたり、自身の趣味を楽しんだり
するために続けてきたことなわけです。
薬を飲んで得ることができる「身体的効果」に慣れていくうちに、それが徐々に「精神的効果」へと変わり、いつの間にか
薬の奴隷のような「精神的依存」
に陥らないようにすることが必要かもしれません。
今回も最後までお付き合いいただきまして
本当にありがとうございました